先週末に、親しくしていただいているお茶屋さんのご主人とお話をしていた時のこと。
お茶屋さんと言っても京都のお茶屋さんではありませんよ。
緑茶を販売されている方です。
経歴がお茶屋さんらからず、哲学科卒業の方です。
ニーチェやサルトルとかの勉強をされていたのでしょうか?
私には難しくてわかりません!!
当社の近くの山に「皇祖皇太神宮」という古ぼけたお宮があります。
そのいわれを古文書などから調べ、まとめておられます。
その調べていることがきっかけで、「皇祖皇太神宮」を訪れる方たちと親しくなってこられました。
人が人を呼び、富山県内ならず全国にお友達が広がり、ある方から「アメリカに行かないか?」と誘われたそうです。
1日考え、いくことにしたそうです。
「シャスタ」という聖地。東海岸、カリフォルニア北部にある山で先住民にとってとても神聖な場所だそうです。
どうしていくことにしたか、行く前までわからなかったそうですが、いざ現地に行ってみたら、自分がそこに導かれていたという思いをしたそうです。
なんとなく胸騒ぎがする、ということと同じ感覚を持たれたのではないかと想像しました。
「導かれる」。
何の根拠もありません。理由もありません。
しかし魂がそこに行きなさいと言っている、そのような状態。
行ってみると感激し感動し、そこを離れられなくなる。
また行きたくなる。
そんなことはありませんか?
私はその状態になるまで、じっと待ち続けるタイプです。
自分の機が熟するというべきでしょうか?
そこが自分が行動するタイミングだと思っています。
アイデァを出す、というのは、突然出るものではないと思っています。
アンテナを張り巡らしておいて、常に情報を取り込み、その中ならアイデァを出していく。
他人からみれば突拍子もないアイデァとしか映りませんが、当の本人にとってみれば、必然からうまれたアイデァなのです。
アイデァは成功するか失敗しるかはわかりません。
恐らく計画表を作ってみても、その通りにはいきません。
元々何の根拠もないところから生まれ、ただ欲求に動かされてしまっただけのものだからです。
私はその行為が重要と考えます。
つまりは、そのアイデァを出せるように自分がなっているか?ということが重要なのです。
人の先を行くことは大変です。
しかし先人のとおったであろう道を観察し、その中に自分の考えや環境を取り入れる。
それが突拍子もないアイデァになるのです。
知り合いのお茶屋さん、シャスタに行かれてから行動が変わりました。
頭で考えることを止め、感覚を重視し、理由はそのあとに考える。
車を衝動買いされました。それも2シータの外車です。
2シーターの外車、その方が買うとは営業マンも思っていなかったようです。
皆さんはアイデァをどう出すようにしておられますか?
単に何の考えもない感覚を便りにしていますか?
じっくりと考え、周りを固め、計画を立てたものをアイデァにしていますか?
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