今日は富山県立高校の合格発表ですね。
昨年の今ごろは、東関東大震災の後で合格発表どころではなかったですよね。
当社に勤務している人のご子息も受験生で、親としては心臓が痛くてしょうがないのではないでしょうか。
受験生には全員、春がやってきてほしいものです。
私たちの県立高校受験の頃と現在ではずいぶんと違ってきているようですね。
全般的に言えるのは、「子どもの個性を活かす」とうことが重要視されているような感じです。
ゆとり教育のせいなのでしょうか?
私たちのころは、「立派な大人になるには勉強しなければいけませんよ」的な感じで、スポーツや芸能などを重要視せず、ひたすら点数のみと言う感じでした。
私が思うには、小中学校の頃は第一に「勉強」だと思います。
人間の基礎が出来る時、やはり勉強重視でいかないといけないのではないかと思います。
私が保護司として担当している人との会話です。
「自衛隊に行きたいと思っています。知人から試験の本をもらったのですが、内容が全くわからない。」
残念なことに、この方は小学校高学年から中学校卒業まで、まともに学校に行っていませんでした。
分数や割り算、英語などの簡単な問題も解りません。
少しオーバーな例かもしれませんが、このような人が実際にいるのです。
今、テレビではいまだに「おバカタレント」と言うキャラクターで人気を集めている人たちがいますよね。
私たちはその人たちを見て、「こんなことも知らないのか?馬鹿じゃないの」と思い、優越感に浸っています。
あの人たちの中には「作られたキャラを演じている」人もいるとは思いますが、どうですか?いいことでしょうか?
私は思うのですが、どれだけ一芸に秀でているかもしれませんが、それだけでは成功しないのではないでしょうか?
ダルビッシュや石川遼は頭の回転が速い人だと聞いています。
勉強をもっとしていれば違った道でも成功していたかもしれません。
富山中部高校では、「文武文」という言葉を使っておられます。
学生の第一義は「勉強」です。これをおろそかにしてはいけない。
その次は「その勉強を支えるために体力」。勉強するにも最後は体力勝負です。
そして最後。「勉強」です。
進学校だからということで片づければそれで終わりですが、人間は死ぬまで勉学していかなければなりません。
最近の親御さんはその辺の理解が間違っているような気がしてなりません。
「子どもが満足していればいい」ということだけではなく、しっかりと親としての意見を伝え、時には叱りつけてでも従えさせ、勉強することの重要性を叩き込まなければならないのではないでしょうか?
この間の「鶴瓶の家族に乾杯」で東北からの放送でした。
夜の公民館に行った時のこと。
中学生20人近くが勉強していました。
「なんでそんなに勉強するの?」と聞いたところ、
「津波でやられたこの街を復興するために消防士になりたい。」
「勉強してこの町のために何かをしたい。」
という男子中学生の話がありました。
震災を経験したからかもしれません。勉強以外することがないからもしれません。
でも、これは東北だけの問題ではないはずです。
日本の若い人たちがこの国の将来を担っていくわけですから、一芸だけ、おバカタレントをもてはやしているような時期ではないと思うのですが・・・・
私たち親がもっと考えていかなければいけないのではないかと思います。
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