昨日で大震災から1年が経ちました。
1年という年月で確実に変化したことは、「前向きに生きよう」という気持ち、「復興のために日本人が協力して立ち向かおう」ということでしょうか?
震災が起きた1カ月とい言うもの、震災の影響が直接なかった富山のような地域でも、様々な形で生活が変化しました。
都会に住んでいる人たちは、ばらまかれた放射能の心配で「飲み水」の確保の動きに躍起になっておられました。
私も東京の親類に幼児がいたので、石倉地蔵尊の水を汲みに行って東京まで送ったものです。
私の息子が震災の時に東京にいて、丸1日間連絡が取れなかったことを思い出します。
また、娘が3月21日からアメリカに留学するために行くことになっており、東京までの交通手段、そして成田空港までの交通手段が確実でなかったことなど、今思えば大変な苦労をしたものです。
その頃はまだ福島原子力発電所がいい方向に向かっていたとは言え、どうなるかもよくわからない状態で、最悪の場合も想定しておくようなころでした。
津波の影響で避難されていた方たちは、広い体育館や教室などに毛布で暖をとり、風呂も入れない生活をされていました。
食糧などの配給があり、広い運動場に白線が引かれ、その白線の上に長いきれいな列が出来ていたのを見た時、日本人の素晴らしさを感じました。
あとで聞いたはなしでしたが、配給の時の順番もお年寄り、子供、妊婦を優先させるということまでやっていたということです。
世界の人がそのことに驚いて、称賛したことは大変興味深いことでした。
日本人は行政や国が言われるまでもなく、人から指図されるわけでもなく、なんの違和感もなく、このような時に落ち着いて行動できる国民なんでしょうね。
このような国民であるからこそ、一致団結して、堅い絆で復興を成し遂げられるのではないでしょうか?
1年がたち、仙台では「復興特需」が発生しているということです。
夜の繁華街では大勢の人たちが繰り出し、百貨店では海外ブランドが飛ぶように売れていると聞いています。
悪いという人がいるとは思いますが、考えても見て下さい。
つい1年前まで、どうなるのか判らなかった訳ですよ。
つらいことを忘れる意味でも賑やかしいことはいいことではないでしょうか?
国民が復興に力強く前進しているというのに政治の世界では、いまだにおろおろしているようにしか感じません。
「経済、国民は一流、政治は二流」と言うのは、政治そのものの歴史が浅いせいなのかもしれませんね。
今こそ優秀な官僚と政治家が一致団結して国民を導いていく時だと思うのですが・・・・・
強い政治家、ないし政党が現れることを期待していきたいと思います。
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