養老孟司さんと隈研吾さんの対談の本を読みました。
そのかなで特に興味のもったお話をご紹介させて頂きます。
「だましだまし」という言葉。
隅さん建築家で東京大学教授でもあります。最近の代表建築は「根津美術館」です。
その建築家からでた言葉。「だましだまし」。
日本は今、一律に統一された制度やきまりに縛られています。
たとえば、高層建築物を設計する場合、その建物が建つ地盤の問題より上の構想物の基準が大切で、もし、強固な岩盤の上に高層マンションを建てれば上の建築物の柱は細いものでいいかも知れないということは、制度的には認められないないそうです。
そういえば昔、よく聞きました。「だましだまし使っています」という言葉。
内燃機付の機械は昔、よく故障しました。
今のように工業製品の品質が良くなく、製品のばらつきが大きく、微調整が必要でした。
たとえば、自動車。
今のようにコンピューターで制御されているわけでもなく、天候や油などの具合でも違ってきていました。
5千kmまではならし運転してくださいという話もありました。
「だましだまし」といことですよね。
「だます」と言ったら犯罪のような感じですが、この場合の「だましだまし」とは、「相手の状態をみて判断してね。一律の基準で見ないでね」ということです。
私たちは一つの基準にそって判断したがります。
現在問題となっている「原発の再稼働」もそうです。
「想定される津波が10mだから、それ以上の対策をしっかりとしておかなければ再稼働は認可できません。」
もっともな話です。
津波が来てもその対策が他に出来ているということはあまり重要視されていないか、その辺の報道はあまり聞きません。
しかしもっと重要なことは、原発を止めることによる経済活動への影響ではないでしょうか?
その辺の「だましだまし」が出来ていません。
また、養老さんはこのようなことをおっしゃっておられます。
医療の世界では、過剰に完璧主義になって適応という対応策をしていない。がんの手術などは全部取ってしまって、結局のところ患者を死なせてしまっている、と。
医療でも「だましだまし」が出来ていないのですね。
人間の体と言うのは本当にすごい力を持っています。
昨日の「ためしてガッテン」を観ていましたら、足の太い動脈が詰まったら、その周りにある細い血管が太くなってその役割をするそうです。
心臓は心臓であってその役割は他の臓器が変わることは出来ませんが、意外と他がやってくれることがあるのですよね。
私たちはこの「だましだまし」と言うことをもっと考慮に入れていかなかればなりません。
今の若者は「中古品」に対する抵抗感があまりありません。
古きよきものというセンチな気分ではなく、金銭的な部分もあるとは思いますが、よっぽど「だましだまし」使うことを知っているのではないでしょうか?
大震災を契機に日本人は様々な事柄の変革を要求されています。
その考え方のなかに「だましだまし」を取り入れてみるのもいいのではないでしょうか?
そして「いい加減(良い加減)」にお付き合いしていくのがもっともいいことではないのかと思います。
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