昨日、事件当時18歳1カ月だった殺害事件の死刑が確定しました。
13年間に及ぶ裁判で最高裁が下した判決は、大変重いものになりました。
昨日からの報道を聞いていましたら、どうもマスコミはこの元少年に対して同情的な報道をしているようにも思えます。
しかしながら、最高裁は「冷酷、残虐にして非人間的な所業」、遺族の被害感情はしゅう烈を極めている」と死刑判決を正当としています。
幼いころから父親に虐待を受け、母親だけが頼りだった元少年は、母親の自殺から人が変わり、殺人事件をすることになったことに対し、司法は死を持って償うしかないということだと思います。
私はこの判決に対し、この少年を擁護することは致しません。
現在、刑務所にいる受刑者の多くは「再犯者」です。
その人たちの多くは、働くことをせず、働く場所もないのかもしれませんが、安易に「お金を搾取する」手段を知って、それを実行しています。
そして警察に捕まり、刑務所に送られ、三度のご飯と寝る場所を与えられ生きていきます。
刑務所と言うところは自由がなく、厭なところだと思います。
しかしながら、「セーフティーネット」になっていることも事実です。
彼らのほとんどは、どこまでやればどうなるかと言うことを知っています。
もし、死刑がなくなって、人権の尊重を唱えてしまった場合、歯止めがなくなりもっと犯罪が多くなる可能性もあります。
罪を犯し、更生する人も大勢います。それ自身は否定はしません。
私自身も何人も見てきました。
更生してくれたときの喜びは何にも代えがたいものがあります。
その人たちと話をするときに「歯止め」として言うのは、「死刑があるのだよ」ということです。
「僕は捕まらない」。「そこまではしない」。「警察官はちょろいもんだ」。
世の中は自分を中心にして回っているようなことまで言います。
今回は非常に話題になり、18才の少年が死刑を免れるのか?という重い問題に対し、少年の犯罪に歯止めがかかり、犯罪が少なくなっていくきっかけになればいいと願わずにはいられません。
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