昭和20年8月1日。富山にB29が飛来し、富山市中心部に焼夷弾が降り注ぎました。
中心部は焦土化し、大和富山店と電気ビル、県庁を残し、全てを焼き尽くしました。
大勢の市民が犠牲になり、その忠魂の意味を含めた花火大会です。
爆弾投下の前に、ビラがまかれ、空襲予報をしたそうです。
疎開できる人は、田舎の親類の家に厄介になり、難を逃れたり、防空壕に入ったりして命をつないだそうです。
私の家は、呉羽山のふもと、神通川サイドにあり、焼夷弾は落とされませんでした。
近くには富山練兵場があったのですが、そこは対象ではなかったそうです。
私の祖母の話では、呉羽山の上で落とした爆弾は市内中心部に落下。それよりも前に落とした爆弾は神通川や田んぼに落下し、失敗となったと言っていました。
落下する焼夷弾は花火のように赤く燃えながら落ちていったそうです。
あれから72年。
富山はもしかしたら、原爆投下されていたかもしれない。
空襲の前に,B29が1発だけ爆弾を投下したそうです。
練習をしたということですが、練習で終わって良かったと、現在、思います。
現在、北朝鮮情勢が難しくなってきている中で、もし、北朝鮮と戦争状態になったとしたら、この国、この富山はどうなるのでしょう?
そう考えただけで、ぞっとします。
平和は一番。ですが、戦争状態になる可能性は十分にあります。
今日は平和を願いつつ、戦争で亡くなった方の忠魂を祈りながら、花火を鑑賞したいと思います。
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