今日で4年。午後2時46分に発生した地震は、日本を大混乱にさせました。
私はこの日、富山刑務所の見学会に行っていました。
中の見学を終え、事務所棟の2階で説明を受けていた時、地震がありました。
富山で感じられる地震は1年に一度もないぐらいですので、大変ビックリしたことを覚えています。
「東北地方で地震があり、津波が押し寄せてる。テレビで放映されていますよ」と、刑務官が教えてくださいました。
4時ごろにテレビを見ると大変なことになっていました。
津波が東北沿岸に押し寄せる映像が映し出されていました。
沿岸沿いの高速道路に押し寄せるどす黒い海水。
仙台空港を一気に見込む海水。
気仙沼の市街地を破壊しながら津波はすべてを奪っていく光景を、テレビは伝えていました。
そして、日本最大のピンチ。東京電力福島第一原発のメルトダウンが起きたことが伝えられたのです。
放射能がまき散らされ、福島の方は避難生活を余儀なくされました。
民主党が政権を握っていたことも結果的にはピンチとなりました。
あれから4年。
津波で飲み込まれた町や市では復興に向けた工事が行われていますが、まだまだ時間がかかるようです。
その中で女川町の復興に向けた取り組みの番組がありました。
「住むところはかさ上げした土地。津波が来るところは公園や水産施設とし、還暦以上は口出すな」という言葉で、将来の街をしょっていく若者が中心となって計画を作成し、いち早く工事が進んでいるということです。
次の街の主役は若い人たち。その人たちが住みやすい街、魅力ある町にすれば、必ず発展します。
復興は長い道のりです。
今日の日を忘れず、一歩ずつ前進していっもらいたいものですね。
[2回]
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